米国で第2次世界大戦中に12万人を超える日系米国人らが強制収容された歴史を知ってもらおうと、西部ワイオミング州のハートマウンテン強制収容所の跡地にある博物館を運営するハートマウンテン・ワイオミング財団理事長の日系米国人3世、シャーリー・ヒグチ弁護士が来日して2024年10月29日に東京外国語大学で講演した。東京外語会と東京外大が共催し、パネルディスカッションでは篠原琢副学長がモデレーターを務めた。
▽全く罪のない日系人ら収容
日本による米ハワイ州・真珠湾への攻撃を受けて1942年2月にフランクリン・ルーズベルト大統領(当時)が大統領令を出し、全く罪のない日系米国人らが自宅から追い出されて強制収容所などに入れられた。収容所は有刺鉄線に囲まれ、収容者は粗末な木造バラック住宅での厳しい生活を余儀なくされた。
シャーリーさんは講演で、父親の一家は米西部カリフォルニア州に約5.8ヘクタールの農場を所有していたものの「強制収容のために全ての財産を失い、農場も150ドルで手放さざるを得なかった」と説明。農場の資産価値が「現在は6500万ドル(約100億円)相当になっている」と打ち明けると、会場からはため息が漏れた。
シャーリーさんの両親の一家はともにハートマウンテン強制収容所に入れられ、両親は「苦痛を自分の世代で終えようと、子どもには語り継がなかった」。強制収容の歴史を調べた著書『セツコの秘密』(イーコンプレス、4千円)は「母親のセツコが秘密にした歴史という意味でタイトルを付けた」と解説した。
▽補償は評価
シャーリーさんは、レーガン米政権下の1988年に日系人強制収容を謝罪し、生存者に1人当たり2万ドルを補償したことについては評価した。2011年に博物館が収容所跡地にオープンし、併設する施設「ミネタ・シンプソン・インスティテュート」も2024年7月に開設した。
施設名を取った元収容者で日系人初の米閣僚として商務長官に就いたノーマン・ミネタ元下院議員(民主党)と、幼少期からの友人のアラン・シンプソン元上院議員(共和党)は党派や思想の違いを乗り越えて協力し、収容者への謝罪と補償を勝ち取った。対照的に「今では米政治の保守派とリベラル派の対立が深刻になっており、大変憂慮している」と話し、施設を「立場を乗り越えて結集し、諸問題の解決策を見いだす場にしたい」と意気込んだ。
▽トランプ氏の勝利を予想
続いて共同通信社経済部次長・大塚圭一郎氏(F1997年卒)が、2024年5月までの約3年半のワシントン支局駐在中に報じた日系米国人らの強制収容に関する記事を紹介。取り上げた理由の1つに「でっち上げを含めて移民らへの人種差別的な発言を繰り返しているドナルド・トランプ前大統領が復帰し、分断がより深刻化することへの懸念があった」と明かした。激戦7州で優勢のトランプ氏が大統領選で勝つ可能性があるとして「米国の先行きを危惧すべきだ」と警鐘を鳴らし、その通りの選挙結果になった。
日本ブラジル中央協会常務理事の岸和田仁氏(Po1976年卒)はペルーとブラジルへの日本からの移民や日系人の歴史を紹介し、第2次大戦中などに「非白人に対する人種偏見に基づく迫害があった」と説明した。
篠原副学長は、講演や議論を通じて「米国やカナダ、オーストラリアなどは市民に加えられた不正を謝罪しており、日本社会にとっても暗い過去とどう向き合うのかでたくさんの重要な実践を紹介してもらうことができた」と評価した。
東京外語会の川上直久副理事長・事業委員長(Po1971年卒)は閉会の辞で「雨天の中で足をお運びいただいてありがとうございました」と来場者に謝意を伝え、シャーリーさんの発言の日本語通訳を務めた大学院博士前期課程2年の生井みなみさんをたたえた。