先日、東京外国語大学の旧西ヶ原キャンパスの跡地に、東京外語会が大学に寄付した百周年記念教育研究振興基金の一部を使用して記念碑を建立したことをご報告いたしましたが、この度その跡地が現在どのように利用されているのかを紹介するページを作成しました。
こちらよりご覧ください。
取材メモ
去る2013年3月4日(月)に東京外国語大学旧西ヶ原キャンパスに記念碑が建立され、除幕式が行われたと聞き、3月9日(土)に早速、見に行ってまいりました。快晴の空の下、王子駅から歩きだし、都電の西ヶ原4丁目駅の方角から旧西ヶ原キャンパスにアプローチ。最初に見えたのはかつての講堂から生協のあたりにかけてできた大きなマンションでした。最初の角にはまず北区立西ヶ原南保育園という保育園があり、マンションを過ぎた旧正門のあたりは西ヶ原みんなの公園と称す公園の入り口になっていました。記念碑はその真ん中にありました。御影石で立派なものです。そこから図書館があった方を望むと今や昔のグラウンドまで一面の公園になっています。図書館・1号棟から3号棟・部室・テニスコート、全てを潰し、あんなに狭いと思った校庭が結構広く見えます。公園は災害時の避難所としての工夫が凝らされています(例:石のベンチが竈として使える)。高台に戻るとかつて教務課のあったあたりは武蔵野高校(もはや女子高ではありません。)の運動スペースになっていて、サッカーの練習をしていました。教授棟と体育館のあったところは老人ホーム飛鳥晴山苑となっています。これも立派な建物です。昔あった建物は何一つ残っておらず、塀さえもないので、旧正門のところから今や西ヶ原小学校が丸見えです。西ヶ原小学校の生徒は高い塀がなくて清々しているだろうなという感じです。
帰りは染井霊園を抜けて巣鴨へ出てきました。岩崎家の邸宅や養和クラブの脇を歩いていると、ふと「王子の渋沢家(飛鳥山公園は渋沢栄一の旧宅があったところだそうな。)、巣鴨の岩崎家と明治の産業発展の大立者の敷地に挟まれた立地だったのか」とちょっとした感慨にとらわれました。もっとも、大学が当地に来たのは昭和19年と書いてあったのを思い出し、その感慨も一瞬のことではありましたが。
巣鴨駅から家には向かわず、都営三田線で5駅の神保町で下車。歩いて2分のところに如水会館がありますが、その隣の学術総合センターの敷地内に東京外国語学校の記念碑があることを聞いていたので訪れてみました。建立されてから11年が経っていて、文字の白塗料が一部剥がれていましたが、石そのものと校章はまだきれいなままです。
訪れた時は3月で写真で紹介しますとおりまだ公園や木々は茶色いままでしたが、これからの季節新芽が萌え出しときっときれいなことだろうと思います。
スペイン語学科昭和59年卒業 山川 功
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