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お知らせ(トピックス)

【2013.11.04】「東京外国語大学日新学寮」同窓会を開催しました。

去る9月11日、東京中野のサンプラザにおいて日新寮の同窓会を開催しました。会には伊東光晴元寮監、立石博高現学長他の来賓をお迎えして、62名が出席。最古参は昭和13年、最若年は昭和47年、それぞれ入寮という世代をこえた日新寮OBたちが、和気あいあいの雰囲気の中で楽しく過ごしました。
伊東光晴先生は、重篤な脳溢血から奇跡的に回復され、お元気な姿で壇上に立ち、以前と変わらぬ張りのある熱い語り口で感動的なスピーチをしてくださり、また立石学長からは、2学部制に改編して新たなスタートを切った母校の今後の構想などについて含蓄あるお話を伺いました。
この席上、約6年かけて完成した「日新寮アーカイブズ」の紹介がプロジェクターを使って行われ、出席者一同、スクリーンに映し出される往時の寮の姿に懐かしそうに見入っていました。歓談尽きぬ中、最後は日新寮で戦前から歌い継がれてきた「キンキラ節」の大合唱。予定時間をオーバーして盛会裡に幕を閉じました。
閉会後は、会場から徒歩15分ほどの所にあった日新寮の跡地まで散策に行く人たち、久し振りに会った旧友と2次会をする人など、思い思いに余韻を楽しみました。めったに開かれることのない同窓会ですが、多感な青春の日々を過ごした日新寮時代にタイムスリップした大変有意義な集いだったと思います。
当日の様子はフォトギャラリーにてご覧ください。

〈日新寮について〉
日新寮とは、正式名称を「東京外国語大学日新学寮」といい、地方出身の本学男子学生の学寮として、大正13年(1924年)、東京都中野区上高田に開設されました。
「日新寮」の命名は、漢文の柴田教授と国語の友枝教授とが、中国の四書五経の中から選んで決められたといいます。以来、外語の校舎は戦災に遭ったり移転したりしましたが、日新寮は中野の地を離れることはなく、木造平屋建ての建物もほぼ開設当時のまま、昭和54年(1979年)に廃寮となるまで、56年間に亘り存続しました。
日新寮から輩出した著名人には、故人に限っても、五味川純平(『人間の条件』他の著者)、小川芳男(元本学学長)、赤尾好夫(旺文社創業社長・実業家)、新美南吉(童話作家・作品のひとつ「ごんぎつね」は国民的童話)、秘田余四郎(600本余りの映画字幕の制作に携わった「字幕の名工」)等がいます。
この寮の定員は、時代によって異なりますが、70~120名でした。寮監として、本学教授が寮の敷地内の別棟にご家族と共に住んで居られました。私達が聞き及んでいる寮監には、星誠(Pо)、蒲生礼一(U)、鐘ヶ江信光(C)、伊東光晴(経済学)、伊東定典(In)等の先生方が居られます。
かつて日新寮生は、地域社会との交流も相当あり、地域から温かく迎えられていました。毎年開かれる寮祭の時などには、近隣の方々のコーナーも設置され、盛大に催されたものでした。寮の跡地は今、東京都中野区の公園となっています。
〈追記〉
「日新寮アーカイブズ」をまとめたDVD冊子(「東京外語日新寮アーカイブズ」)は同窓会の出席者全員に配付しましたが、かつての日新寮生で、ご希望の方がおられたら下記までお申し越し下さい。任意ですが、カンパ3000円也を申し受けます。
〒300-1236 茨城県牛久市田宮町231-9 高橋 潔(文責。D昭和37入寮)
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